大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(ネ)322号 判決

控訴人(被告) 株式会社日立製作所

被控訴人(原告) 佐藤明

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、次に附加するほかは、原判決事実摘示の通り(但し、事実欄第三の二の末尾から四行目に「八月六日付」とあるのを「八月五日付」と訂正する)であるから、これを引用する。

控訴代理人は「転属は、控訴会社においては、その従業員の一つの事業所内の異動である分掌変更及び事業所間の異動である転勤とともに、控訴会社と密接な関係にある系列会社への異動として昭和二四年一〇月控訴会社とその労働組合総連合との間に初めて転属に関する協定が成立して以来、労使間に確定した慣行として認められ、実施されているものであり、本来従業員の同意を要しないものである。その内容は転勤に準ずるものとされ、業務上の都合により必要のある場合に行なわれるものであつて、労働条件は原則として受入会社の就業規則等に従うことになるが、主要なもの、たとえば、賃金については控訴会社における現収が保証され、退職金の勤続年数及び有給休暇日数は通算される(控訴会社在職中の退職金は転属時に支払われ、受入会社退職の際は、右支給額を控除した退職金が支払われる)。転属を行なう場合は、控訴会社が業務上の必要性、本人の事情等を考慮して人選し、これを受入会社に示し、受入会社がこれを了承すれば、転属が確定し、これを転属者に通知することにより両会社の定めた日付で転属者の身分は受入会社に移転し、これに伴つて控訴会社から受入会社に対し転属者の労働者名簿、賃金台帳等の関係書類が送付されることになる。本件転属は控訴会社と日立電子との間の合意により成立し、これを被控訴人に通知することにより発効し、被控訴人はこれにより控訴会社から退職したものである。仮に転属について転属者の承諾を必要とするものとしても、被控訴人はこれを承諾しているから、本件転属は有効である。この場合は、被控訴人の承諾により控訴会社との間の労働契約が合意解約されると同時に、被控訴人と日立電子の代理人である控訴会社との間に労働契約が成立したか、または、被控訴人との間の労働契約上の地位が控訴会社から日立電子に譲渡され、被控訴人がこれを承諾したものとみるべきである」と述べた。

被控訴代理人は「控訴会社主張の右事実中転属の内容を除くその余の事実は否認する。被控訴人は控訴会社に対し日立電子との労働契約の成立を停止条件とする労働契約解約承諾の意思表示をしたのであるから、控訴会社が右停止条件を承諾していないとすれば、両者の意思表示は不一致となり、合意解約は成立していないことになる。仮に意思表示が一致していたものとみられるとしても、被控訴人は、控訴会社の転属の申入を日立電子との労働契約の成立を条件とする労働契約の解約申入と誤認して、承諾の意思表示をしたのであるから、該意思表示は要素の錯誤により無効である。なお、転属に転属者の承諾を要しないという協定ないし慣行があつたとしても、一般に労働者は使用者の社会的信用、企業の前途等を考慮してこれと労働契約を結んだ上、継続的身分関係にはいるのであるから、使用者の一方的な命令によつて、系列会社とはいえ、信頼関係を異にする他の会社と継続的身分関係にはいることを強制されることは契約自由の原則に反するし、また、憲法第一八条、労働基準法第五条の各規定にも違反し、民法第九〇条により該協定ないし慣行は無効である」と述べた。

(証拠省略)

理由

被控訴人が昭和三六年四月一日控訴会社に横浜工場の従業員として雇われ、昭和三九年八月以降テレビ試作課において主としてテレビのシヤーシーの設計業務に従事していたこと、控訴会社が昭和四〇年八月五日被控訴人に対し、林課長を通じて、系列会社である日立電子に同月六日付で転属させる意向である旨を告げたこと、翌六日被控訴人が日立電子に行き、入社手続の際、二、三日考えさせてもらいたいと言つて、労働契約書の作成を断つたこと、同月九日林課長が被控訴人を日立電子に連れて行き、厚生施設、労働条件等の説明を受けさせたこと、被控訴人が同月一一日日立電子に行つて働くことを承諾したこと、同日日立電子の高見総務部長及び西工場長から被控訴人に対し雇うことができない旨の通知があつたこと、控訴会社が控訴人を同月五日付で退職したものとして取扱い、控訴人が横浜工場の従業員であることを否定していることは当事者間に争いがない。

当審証人立川泰造の証言、同証言により成立が認められる乙第六号証、第九、一〇、一一号証、第四二号証の一、二、原審証人上山正三、高見義昭、宮本延治の各証言及び弁論の全趣旨によれば、昭和四〇年七月七日日立電子から横浜工場に対し無線機関係の設計、検査等の従業員について転属方の要請があり、同月二〇日控訴会社の代理人である同工場の上山総務部長と日立電子の代理人である高見総務部長との間に被控訴人ほか五名を控訴会社から日立電子に転属させる旨、すなわち、控訴会社の右六名との間の労働契約上の地位を日立電子に移転する旨の合意が成立したことを認めることができ、乙第三、四号証、第一四号証、第一七ないし第二〇号証はいずれも転出、転入各会社の内部手続に関するものと認められるし、原審及び当審における被控訴人の各本人尋問の結果によれば、被控訴人が日立電子から労働契約書に署名を求められ、また、採用できない旨を告げられたことが認められるけれども、労働契約書の作成は契約内容を明確にするためにも必要であるし、採用できない旨の告知は解約の告知とも解されないことはなく、いずれも必ずしも労働契約の成立していないことを前提とするものと解さなければならないものではないから、右乙各号証及び右事実はいずれも前記認定を左右するに足りないし、他にこれをくつがえすに足る証拠はない。

控訴人は、転属は労使間に確立した慣行であり、本来従業員の同意を要しないものである旨主張し、乙第三号証、第一四号証、第一七ないし第二〇号証には、右主張に沿うかのような記載があるけれども、右乙各号証は労使間のものではなく、使用者側の内部関係書類に過ぎないものと認められるし、当審証人立川泰造の証言により成立が認められる同第一号証の一、二、三、弁論の全趣旨により成立が認められる同第二号証の一、二、三によれば、本件転属当時の就業規則及び労働協約には、転属した場合は退職とする旨規定されていることが認められ、右事実からすれば、むしろ、転属の場合は当該従業員の承諾を要するものと認めることができ、また、原審証人上山正三(横浜工場総務部長)、宮本延治(同勤労課長)がともに、転属には従業員の承諾が必要である旨供述していることから考えると、前記乙各号証はまだ右控訴人主張の事実を認めさせるに足りないし、他にこれを認めるに足る証拠はない。従つて、本件転属は、被控訴人の承諾があつて、初めて効力を生ずるものというべく、被控訴人は、本件転属は日立電子が被控訴人を雇うことを条件とする控訴会社と被控訴人との間の労働契約の合意解約である旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠なく、前記認定のように、本件転属が控訴会社の被控訴人との間の労働契約上の地位の譲渡であり、控訴会社と日立電子との間に本件転属に関する合意が成立した以上、被控訴人がこれを承諾すれば、控訴会社の被控訴人との間の労働契約上の地位は直ちに日立電子に移転するから、被控訴人は控訴会社の従業員たる地位を失うと同時に、当然日立電子の従業員たる地位を取得するものというべく、その間に改めて日立電子との間に労働契約を結ぶ余地のないことは明白である。

ところが、被控訴人が本件転属を承諾したことは前記の通りであり、原審証人宮本延治、当審証人立川泰造の各証言、原審及び当審における被控訴人の各本人尋問の結果によれば、昭和四〇年八月六日日立電子の渡辺戸塚分室長が横浜工場にきて、日立電子に転属になる被控訴人ほか五名に対し、これから日立電子の従業員として仕事をしてもらうことになるが、日立電子の戸塚工場には控訴会社から行つた人が多く、気持よく働けると思う旨のあいさつがあつたこと、被控訴人は、控訴会社が、具体的な条件も示さないで、いきなり日立電子に転属させると言つてきたことが納得できなかつたし、また、日立電子についてもよく知つておらず、系列会社である日立電子は、賃金においても、福祉厚生施設においても、親会社である控訴会社に劣つているにちがいないと考えたので、転属について承諾を留保し、郷里に帰つて兄と相談したり、一日休暇をとつて考えたりしたが、同月一一日、林課長も同席の上、宮本課長と会い、六項目にわたる質問をしてその回答も得たし、また、転属は業務命令であると言われたので、結局は拒否できないものと考え、しぶしぶ本件転属を承諾したこと、その際、被控訴人は宮本課長から、昨日日立電子から高見総務部長がきて、被控訴人を採用したくないような話があつた旨を聞かされたが、これは感情問題として話したものと受取り、また同課長から、八月六日付で先方の人間になるのだから、早く行つて指示を受けて働くようにと言われたので、転属は業務命令だというし、控訴会社のやることだから、ともかく行けば、感情的なものが残るにしても、当然働かせてもらえるものと信じて転属を承諾し、同日日立電子に行つたところ、高見総務部長及び西工場長から、部長会議の結果、被控訴人を採用しないことになつた旨を告げられ、就労できないで帰宅したこと、被控訴人は翌一二日横浜工場に行き、宮本課長に面会すると、同課長から「どうしてここにはいつてきたのか、守衛がとめなかつたか」と言われて驚いたが、一応右経過を話したところ、「被控訴人は八月六日付で日立電子に籍が移つているから、日立電子で採用しないということは聞いていたけれども、被控訴人を採用するか否かは日立電子で決めることで、控訴会社としては責任がもてない」と言われ、その後、再三控訴会社に対し労務の提供を申出て交渉したが、その受領を拒否されたことが認められ、右事実に徴すると、転属承諾当時すでに日立電子では被控訴人の就労を拒否することを決定していたことがうかがわれ、原審証人高見義昭、宮本延治の各証言中右認定に反する部分は、右認定の日立電子の就労拒否後の控訴会社の態度等に照して、信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右事実によれば、日立電子で支障なく就労できることが本件転属承諾の要素となつていたことは明白であるところ、被控訴人は日立電子で就労させてもらえるものと信じて本件転属を承諾したのに、当時すでに日立電子ではその就労拒否を決定していたのであるから、右承諾は要素に錯誤があり、無効といわざるを得ない(被控訴人の承諾以前に日立電子がその就労を拒否する意向を示し、たとえ被控訴人が承諾しても、就労できないことが確定的であれば、ひるがえつて控訴会社と日立電子との間の転属に関する合意そのものの効力が発生しないことになると解する余地もないではない)。

そうしてみれば、被控訴人が横浜工場の従業員たる地位を有することは明白であり、その賃金額及びその支払期が被控訴人主張の通りであることは当事者間に争いがなく、控訴会社は、被控訴人が再三労務の提供を申出ているのに、これを就労させないのであるから、右地位を有することの確認及び控訴会社が被控訴人に対し退職の取扱をした日の翌日である昭和四〇年八月六日から一か月二万二、〇〇〇円の割合による賃金の支払を求める被控訴人の請求は理由がある。

よつて、被控訴人の請求を認容した原判決は、その理由において異なるところはあるが、相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第八九条を適用し、主文のように判決する。

(裁判官 近藤完爾 田嶋重徳 小堀勇)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例